遠山 勝OB ニッタクニュースに掲載される

 ニッタクニュースの第613月号の連載記事「日本の肖像」で関学卓球部OBの遠山 勝氏が紹介されました。遠山OBご本人と、ニッタクニュースの了解の上で掲載された全文をご紹介しますのでご一読ください。

遠山勝OBについて
・昭和42年社会学部卆関西学院高等部出身 生粋のKGボーイ
・昭和41年 卓球部 副将を務める
・昭和41年 西日本学生選手権 D3位(木原豊司・遠山勝組)
・昭和40年 関西学生選手権   S14
・昭和40年 西日本学生選手権 D8位(田中昌利・遠山勝組)
現在 株式会社中外 代表取締役社長

横浜市に在住され、関学卓球部OB会の東京地区の幹事。

現役が早関戦などで東京へ遠征の際は、宿舎、練習場の手配など大変お世話になっています。

現在も卓球をされており、世界ベテラン大会などに参加し国内、海外に遠征されています。


以下は掲載の写真と記事の全文です(ニッタクニュース提供)

※本記事掲載に際して、ニッタクニュース編集部 片野賢二様、株式会社中外様、関学卓球部OBの相川雄二様、遠山勝様にご協力いただきました、有難うございました。


 今月はゲストに関西学院大学卓球部OBで、株式会社中外代表取締役社長の遠山勝さん(63歳)をお迎えし、東京・神田の本社でお話をうかがいました。
 卓球は中学3年からで、きっかけは「兄がやっていたのでクラブに入って始めました。」関学高からそのまま大学へ進んだ。
 レギュラーではなかったが副主将に選ばれている。3年生の時(昭和40年)、シングルスで関西学生ベスト164年生の時に西日本学生選手権ダブルス3位に入った。
 「当時は部員が70人程度。団体の中での自分のあり方や勝負の厳しさを肌で感じました。本番では努力して積み上げたものしか通用しないことも知りました。」
 大学は卒業したものの、就職先がなかなか決まらず親父が経営していた広告会社に入り、その後、
92年に親父のあとをついで2代目社長になった。
 社会人になってからは、20年近く卓球から遠ざかっていた。本格的に再開したのは15年前で、開腹手術後、体力をつけなくてはと思い、リハビリとして始めた。神奈川県藤沢市の「藤クラブ」に所属し、素晴らしい仲間に恵まれて、「試合になるべく出るようにしています。年齢別クラブ選手権で色々な地方にいけるのが楽しみです」。思いがけない人と再会したり、新たな友人ができたりするのも喜びの一つという。「試合の時はいつも緊張で口がカラカラに渇きます。勝っても負けても一直線に取り組む自分が好ましく思ったりします」。
 卓球のほか、健康のためにゴルフを月23回。スコアは1ラウンド8595ストロークでハンディキャップは16。「ゴルフも卓球も上り詰めたことがないままの下り坂ばかり」と笑った。

ベストパートナーを得る

 3年前の横浜大会から、世界ベテラン大会に出場している。ダブルスを組む相手がいなかったため、申し込む時にフランス人のパートナーを募集した。「初めての国際交流ということで、家内がフランス語を話すのでいいんじゃないかと思いました。しかもフランスは卓球のレベルが高いので。」ところがほとんどの参加者はペアを組んだ状態できている。結局、バルバドスから来たカットマンのロナルド・トロットマン牧師と組んで出場した。「私より2歳ぐらい上で、試合中は“アタック”しか言わない人ですが、人格的にもすばらしい人でした。ベストパートナーを得たおかげで決勝トーナメントにも進出できました。」
 06年のドイツ・ブレーメン大会でも、ペアを組み決勝トーナメントに進出している。「私がシングルスで戦っている時は、心配そうにずっと後で見守ってくれているんです。たまたま縁あって地球の裏側に住む人と知り合い、ペアを組む。友情が生まれる。不思議な組合せですけど、世界は一つなんですね。」 08年のブラジル大会での再会は約束済みだそうだ。
 卓球で忘れられない人がもう一人いる。世界ベテラン大会で常に優勝している名選手で、069月に亡くなった内田雪江さん(享年94歳)。065月に行われたブレーメン大会の宿舎の部屋がたまたま向かい側だった。内田さんは60歳過ぎてから卓球を始め、世界ベテラン大会では常に上位を占める超有名人。そんな人と知らず「飛行場ではお見かけしたときはタラップを下りるのもやっとという感じでした。」ところが試合では決勝まで進み、劣勢の連続から大逆転で優勝した。「えっ、お亡くなりになったんですか。あの方からはどんなことがあってもあきらめない勇気をいただきました。生涯忘れられませんね。」

 本業は広告会社で、従来の広告とインターネットを融合させた総合的広告戦略企画立案実施が得意で、今は、ウェブ広告と海外広告(特に中国向け)とイベントに力を入れている。広告業界を取り巻く環境は厳しく、常にスピーディに情報力・企画力・クリエイティブ力を結集させた総合力が勝負となっている。座右の銘は「応心」(荘氏の言葉)と「足腰がすべて」(元卓球世界チャンピオン 松崎キミ代さんの言葉)の二つ。「応心」は卓球部の大先輩から頂いた本に記されていた。もともとの意味は、外輪と内輪を合わせて車輪を作るときのコツは、自分でつかまえなければ、他人には教えられないことを説いたもの。至極の妙所といったコツとか間は自分で真剣に取り組んだものからしか得ることができない。文字や言葉では伝えることができないもの「数あって其間に存す」。
 「これは仕事にも通じますよ。とことん(・・・・)情報を得たり、とことん(・・・・)真剣に考えたり、とことん提案しつづけることが勝負を分ける。とことんやらなければ本人もおもしろくないだろうし、相手も誰も感動しませんよ。自分でつかんだことやものこそ本物です。」松崎さんの言葉は、全ての基本について話したのだと思われる。直接指導は受けていないが、著書に記されていたもので「足腰がしっかりしていなければ何もできない。この二つの言葉は自分の人生を支えるキーワードになっています」。
 今健康でいられるのも卓球のおかげ。卓球は健康のためにもずっと続けていくという。また、今後は高齢者が増え続ける。「卓球は高齢者の方にもお勧めです。ラケットを持って玉を追いかけるだけでかなりの運動量ですし、結構頭脳も使いますので、ベストのスポーツですよ」と話す。日本の卓球界が世界のトップに君臨していたころに青春時代を過ごした高齢者は、だれでも一度は卓球を経験しているはず。「少しでも経験のある人には、復活されることをお勧めします。」

以上