青木喜郎元OB会長 逝去される


元関学卓球部OB会長 青木喜郎さんが6月25日早朝逝去されました。
葬儀は6月26日西宮市の「エテルノ西宮」で行われました。
葬儀には多数のOB、現役、関係者が参列され、出棺に際しては校歌「空の翼」でお見送りいたしました。また多くの大学、関係団体より弔電、献花をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。ご冥福をお祈りいたします。



青木喜郎前卓球部OB会長を偲んで

関学卓球部OB会 幹事長
三浦 篤(昭和31年卒)

六月二十五日の朝 青木喜郎さんが逝去されたとの報に接し本当に驚きました。
ご冥福をお祈りいたします。
青木喜郎さんが卓球部に注がれた情熱と努力に本当に感謝いたします。

OB会長としての在任期間は本人の希望で短期間でしたが、その前後は幹事長、事務局長として寝食を惜しんで奉仕されました。

伝統ある関学卓球部OB会は1960年頃から1990年の約30年間は長い低迷、混乱の時期がありました。
会社を定年退職されてOB会に顔を出されるようになったのは1988年か1989年だったと思います。青木喜郎は中堅若手OBの意見を積極的に取り上げOB会活性化の対策を明確に打ち出しました。OB会費徴収についても、OB会通信、OB会名簿を発行し、現役の活動状況を含めての広報活動に依り、OB会の活動内容を判り易く通知し、OB会費の徴収を飛躍的に向上させました。現在行われている活動の基本システムを作った人です。つまり関学卓球部OB会の「中興の祖」であります。一つ一つの思い出はOB幹事会親善旅行を含めて数限りなくあり列挙することは省略させていただきますが、我々との薫陶を受けた一人として今後とも青木喜郎さんの意思を引き継ぎ少しでも関学卓球部OB会のお役に立てるよう余生を頑張りたいと思います。

青木喜郎さん逝去の1ヶ月余り前に高木有前副会長が亡くなられました。

青木喜郎はその事を知っておられ残念がられていました。高木さんは金銭面でスポンサーとして青木喜郎に協力して長年OB会を支えてこられました。

本当に有難うございました。

最後に以下の英文の詩をもって青木喜郎、高木有両氏への追悼の文とします。

a thousand winds

author Unknown



Do not stand at my grave and weep

am not there, do not sleep

am a thousand wind that blow

am the diamond glints on snow

am the sunlight on ripened grain

am the gentle autumn’s rain


When you awaken in the morning’s hush,

am the swift uplifting rush

Of quiet birds in circled flight.

am the soft stars that shine at night.

 

Do not stand at my grave and cry

am not there, dit not die.